学内講座コード:2231Z103
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主催:
東京都立大学オープンユニバーシティ [ 東京都立大学 オンライン講座 (オンライン) ]
講座名:
「耳のまぶた」の歴史を訪ねて 聴覚文化論への招待
申し込み締切:
2022年11月23日 (水) 23:30
開催日時:
12月3日(土)/15:30~17:00
入学金:
-
受講料:
1,000円
定員:
30
講座回数:
1回
講座区分:
1回もの
その他:
補足:
-
【講座内容】
プレミアム講座は東京都立大学教員の専門的かつユニークな研究の内容を紹介する講座です。興味のある方々に受講していただけるよう特別価格で提供しており、入会金も不要(一般の方)です。高校生は無料で受講できます。尚、当講座に関しては事前のキャンセルの場合でも受講料は返却いたしませんのでご了承願います。
「耳にはまぶたがない」。これはフランスの作家パスカル・キニャールが、その著作『音楽の憎しみ』(原書1996年)に書きつけた命題です。「音には主体も客体もない。音は殺到する。無理やり侵入する」。目とは異なり、耳にはたしかにまぶたに相当する遮蔽物が存在しません。外界へと晒された二枚の鼓膜には、無数の音響が絶え間なく「殺到」している。聞く存在としての私たちは、つねにそれらの殺到に脅かされながら、かりそめの主体性を維持していると言ってよいかもしれません。
今日における聴覚メディア技術の高度化は、キニャールが簡潔に示した認識を、徐々に覆しつつあるようにみえます。たとえばノイズキャンセリング・ヘッドフォンを用いた外的雑音の技術的な無効化は、音楽「だけ」を快適に聴取するという目的のみならず、「静寂を人工的に作る」という目的においても一般化しつつあります。あるいは人工内耳による「聞こえ」の事後的な獲得という事態も、いまや珍しいものではなくなりつつあると言っていいでしょう。私たちは、「耳にはまぶたがない」という身体の生得性に根ざした認識が一般的なレヴェルで相対化されつつある世界を生きている。換言すれば、「耳のまぶた」がオンデマンド的につくられ、あるいは破壊されうる世界に生き始め、それをあたりまえに受け入れ始めている、と言えるかもしれません。
しかし、聴覚にかかわる技術の歴史を振り返ってみると、こうしたテクノロジカルな「耳のまぶた」は、近年に至ってとつぜん生まれたものではないことがわかります。この講座では、その仮の起源を19世紀における「聴診器」と「間接聴診法」の誕生に位置づけ、そこから今日にいたるまでの「耳のまぶた」のいくつかを参看しながら、「聞く主体」としての私たちのありようが技術との相関のなかでどのように形作られてきたのか、そしてこれからどこへ行こうとしているのか、その大きな稜線を描きたいと考えています。その考察を通じて、「聴覚文化論」という新興の学問分野のエッセンスをお伝えするつもりです。
【講座スケジュール】
第1回 12/03 15:30~17:00
※高校生は専用ページからお申し込みください。
※高校生の参加は無料です。
※アーカイブ配信(録画)も視聴できます。
単位数:0単位
※定員の充足状況の変化で、締切前でも受付終了・開講中止等になる場合があります。
お申込の際は、リンク先の主催校のホームページをご確認下さい。
名前 | 福田 貴成 |
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肩書き | 東京都立大学 人文社会学部 准教授 |
プロフィール | 博士(学術:東京大学)。2008年、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程単位取得退学。現在、東京都立大学准教授。専門は聴覚文化論、表象文化論。共著に細川周平編『音と耳から考える??歴史・身体・テクノロジー』(アルテスパブリッシング、2021年)、門林岳史・増田展大編『クリティカル・ワード メディア論』(フィルムアート社、2021年)、論文に「制御から媒介へ??「メディア経験としての介護」をめぐるノート」(『COMMONS』Vol. 1、東京工業大学未来の人類研究センター2022年)、「修羅の音を聴く──『シン・ゴジラ』におけるモノとステレオ」『ユリイカ』第48巻第17号(2016年12月臨時増刊号/総特集「『シン・ゴジラ』とはなにか」)。など。 |
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